明治生まれの親父の世代でのサラリーマンは、50歳が退職年齢であった。
そして、国民年金は60歳で支給が始まっていた。
平均寿命は60歳そこそこであり、定年退職した後も10年程度は御国のために働いて、体力の無い者は自分が貯めこんだはずの国民年金を貰うまで生きることがなかった。
俺が社会人になった昭和43年頃もまだそんな時代での延長線であった。たしか退職年齢は60歳近くにまで伸びたように覚えているが、退職して間もなく死ぬ人が多かった。
古き良き時代とでも言うのか、葬儀となれば職場の連中が自宅に出向き、全般を仕切るという社風であった。今と違い、遠くとも埼玉県越谷以近とか神奈川県横浜市以近・千葉県千葉市以近程度が通勤圏であった当時は、そこに在る自宅にまで出かけて葬儀を仕切るのは当然のことであった。ちなみに、前記よりも遠くから通勤する者はいなかった。そんな遠距離通勤は採用されなかったということである。話題が飛んでしまったが、当時は退職間際の60歳程度で彼の世に旅立つ人が多かった。
「
平均寿命の推移: 子ども・子育て本部 - 内閣府」によれば、昭和43年の平均寿命は男性69.05年・女性74.30年であった。
あれから概ね半世紀が経った今、平均寿命は男性79.64年・女性86.39年である(平成22年簡易生命表による)。退職年齢は60-65歳となったが、退職後に再就職し70歳近くまで勤める人も少なくないようだ。仕事はしないまでも、昔と違い、ピンシャンとして第2の人生を楽しむ人が増えた。それだけ、健康な時期が伸びている。
また、楽しむ第2の人生が増えた分、結婚年齢が遅くなった。昔であれば25歳までに結婚しない男女には悪い噂が出たが、今どきは35歳になっても独身である事を何とも思わない人が増えてきたらしい。伴って、それらの人達を親に持つ子供達は遅咲きの人生を送ることにならざるを得ない。要するに、父母が第1の人生を全うするような60歳を過ぎる頃になって、やっと大学を卒業し社会人デビュするというサイクルになっている。
家制度が廃れた最近では、親が子に教える・伝達するようなことは少なくなっているのだろう。また、社会生活においてもナレッジシステムを駆使することで判ったつもりに成れる。親が先輩が人生の先達として子や後輩に教えなければならない事は無いと言っても過言ではない。伴って、人としての生き方を教えることも無く、学びたいと思うことも無くなったのだろう。
日本が、日本の生活土壌が、このまま変わらなければ。日本は日本ではなくなるのだろう。少なくとも、俺が知る日本ではなくなる。
しかし、それも良かろう。もしかしたら、そのような遍歴の積み重ねが日本なのかもしれない。