無無無庵2

(むさんあん) - 思考が無く - 躰が無く - 心が無く

トキメキ団塊親父のセカンド・ステージ - 退職爺のボケ封じ

パソコン利用歴

我輩がコンピューターという物に関心を持ったのは、昭和44年頃に「鑽孔テープ」による業務を与えられたことからだろう。 後から知ったことだが、鑽孔テープはミニコンピュータの入出力を行う為に利用したものらしい。「ミニコンピュータ」なるものが如何なる物かも知らないまま、鑽孔テープなる物で計算結果が出るということに興味を覚え、コンピューターを学びたいと思ったのだ。コンピューターを学ぶといっても当時の我輩の周囲...

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我輩がコンピューターという物に関心を持ったのは、昭和44年頃に「鑽孔テープ」による業務を与えられたことからだろう。 後から知ったことだが、鑽孔テープはミニコンピュータの入出力を行う為に利用したものらしい。
「ミニコンピュータ」なるものが如何なる物かも知らないまま、鑽孔テープなる物で計算結果が出るということに興味を覚え、コンピューターを学びたいと思ったのだ。
コンピューターを学ぶといっても当時の我輩の周囲にコンピューターを知る人はいなく、書店に出向いては 「コンピューター」 という書架を眺めていた。
しかし そこには FORTRAN とか、Pascalとかのプログラミング言語に関する書籍が並ぶばかりで、コンピューターさっぱりの我輩が求める内容ではなかった。
何度か書店に足を運ぶうちに、「マイコン」 とか 「ミニコン」 なる物が、我輩程度の知識でも遊べる物らしいということが判ってきた。

女将にねだりにねだって、やっと月賦で購入した物はシャープ製のポケコンだった。
BASICが使えたが、プログラムを保存できず記憶容量が小さかったことから、すぐに カセットテープ付のカシオ製に買い替えてしまった。 しかし、カシオ製は沖縄出張の際、沖縄の仕事仲間にねだられた事と 帰京旅費が足りなかったことから、売却することになった。
  • スマホ全盛の今では考えられないが、京浜急行の電車内でポケコンを弄っていたら 「生意気だ」 と言われ、喧嘩になったことがある。
  • この時代のポケコンは、すぐ後で発売された関数電卓にも劣る物だったと思う。
丁度その頃は、パソコンなる物が流行はじめだろうか?
パソコンが欲しいな~と思い、シャープ製をはじめ物色・検討し、BASICを使え当時流行っていたNEC製にした。


はじめて買ったパソコンがPC-8000シリーズであったか(?)、PC-8800シリーズであったか(?)は、記憶に定かでない。
当初買った物はプログラムを保存するのにカセットテープを利用したことから不便を感じて、5インチ・フロッピーディスクを内蔵した物に買い替えているので、NECのPC-8xxxは2台使用した。
  • BASIC・マシン語アセンブリ言語なんて~ものにはまり、挙句の果てには海賊版ソフトの販売店に出入りしていたっけ。
  • Microsoft Multiplan や Lotus 1-2-3 という表計算ソフトが現れ、BASICを用いてプログラムを組むことにバカらしさを感じ始めていた。 
  • 多数のワープロソフトが発売され、パソコンでもワープロができるようになった。 しかし、会社ではOASYSワープロだった為、OASYSも購入した(通算2台)
  • 会社にてデーターベースを構築。手作業管理していた設備状況の一元管理を図る。
  • モデムを購入し、パソコン通信を始めた。NIFTY-Serveを利用。
  • BASICという機種間互換性の無い言語に代り、機種を問わずに互換性があるとの歌い文句でMS-DOSが発売。
MS-DOSを利用したくなり、PC-9801VMに買い替え。 ※PC-9800シリーズ
  • 会社の担当部内にて、OA育成担当を任じられる。 この為、パソコンの新機種研究をするとともに、追っかけで買い試す立場になっちまった
  • 会社パソコンとの整合を図る為、ハードディスクを同梱した8インチ外付けフロッピーディスクドライブを購入。  Windows 3.0  ⇒  3.1
Windows 95 のリリースに伴い、PC98-RA(たぶん)に買い替え。
  • DoCoMo ノートタイプ を購入。(通算2台)
  • IBM ThinkPad を購入。(通算2台)
  • 「パピルス」というオフィスソフトを愛用。 「パピルス」はMicrosoft Officeに負け、今は無い。
  • 会社の担当部内のホームページを開設。
  • ISDNにより、インターネットを始める。プロバイダは、OCN
  • IBMホームページ・ビルダーにより、普通のホームペーシを開設。
  • 普通のホームペーシ ⇒ XOOPS に乗り換え。
その後、Windowsの進化と転居に併せて、VALUESTARに買い替え。(通算2台)
  • 会社でのOA関係業務から足抜けし、趣味としてのみパソコンを利用。
  • インターネット接続には鎌倉CATVを利用。しかし、FAX用に ISDN 利用は残置。
鎌倉市 ⇒ 野々市市 転居に併せて LaVie S (Windows 7) に買い替え、現在に至る。

煙草が値上げ !

たかが20円と思えば それっきりだが...煙になるだけの物に支払うことを思うと、なかなかつまらない。そう思うのなら、いっそ禁煙すれば良さそうなものだが...女将と共々、毎日820円を煙にしている。珈琲ともども、時間を楽しむ (暇つぶしと呼ぶ人達もいる) 道具としては最高の物だと思うのだが...また、買い貯めか...

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たかが20円と思えば それっきりだが...煙になるだけの物に支払うことを思うと、なかなかつまらない。
そう思うのなら、いっそ禁煙すれば良さそうなものだが...女将と共々、毎日820円を煙にしている。

珈琲ともども、時間を楽しむ (暇つぶしと呼ぶ人達もいる) 道具としては最高の物だと思うのだが...

また、買い貯めか

神の領域 !?

新しい万能細胞「STAP細胞」なるものが発見されたとのこと。過日ノーベル賞受賞との報に沸いた 「iPS細胞」 や、 「クローン」技術 と言い、人間は神の領域に踏み込み始めているのではないだろうか。SF小説 『モロー博士の島』 を彷彿とさせる時代になってきた。ギリシャ神話の半魚人や、下半身がライオンで頭部が人間...なんて~のが生まれても不思議な時代ではなくなるのだろう。  最近は 「人間の恰好をした獣」...

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新しい万能細胞「STAP細胞」なるものが発見されたとのこと。

過日ノーベル賞受賞との報に沸いた 「iPS細胞」 や、 「クローン」技術 と言い、人間は神の領域に踏み込み始めているのではないだろうか。
SF小説 『モロー博士の島』 を彷彿とさせる時代になってきた。
ギリシャ神話の半魚人や、下半身がライオンで頭部が人間...なんて~のが生まれても不思議な時代ではなくなるのだろう。  最近は 「人間の恰好をした獣」 が多いから、折半ということかな
WikiPedia:モロー博士の島 より「あらすじ」引用
1887年2月、帆船レディ・ヴェイン号に乗り組んでいたプレンディックは、漂流船との衝突事故の際に小型ボートで脱出する。のちに別の船に救助されるが、そこには多数の動物が積まれ、異様な外見の人間が乗っていた。やがてプレンディックは船の目的地である島に上陸し、白髪の男に会う。
白髪の男は、自分の島が「生物学研究所」のようなものだと説明する。プレンディックは、男の正体が、残酷な動物実験を理由に学界を追放されたモロー博士だと気づく。博士は、この島でさまざまな動物を人間のように改造し、知性を与える実験を行なっていた。島には多数の獣人がおり、人間を模範とする「掟」を守りながら生活していた。しかし、プレンディックは惨殺された動物の死骸などを目撃し、掟を破った獣人が存在することに気づく。
やがてモロー博士が手術中の獣人に殺害され、この事件をきっかけに獣人たちは人間らしさを失ってゆく。博士の助手であるモンゴメリーも死亡し、ただ1人の人間となったプレンディックは命の危険を感じて島を脱出する。しかし生還した彼を待っていたのは、人間社会に対する恐れであった。プレンディックは、街をゆく人々が獣人と化すのではないかという不安にさいなまれる。
アルフレッド・ノーベルだって、殺人目的でダイナマイトを発明した訳では無かろう。
科学が発明した物で、殺人を目的にした物は「弓矢」だけなのかも知れない。
所詮は、それを利用する人次第ということか!?

この世も、あの世も、謎が多い。
学者とか研究者とか坊主とか呼ばれる者は、その謎を知りたいのだろう。
未知の領域を知ることを生業としているのだろう。

地球の歴史の中で、人類は ほんの一瞬前に発生したという。
その一瞬の中で「オーパーツ」と呼ばれる謎の物体が存在する。
「オーパーツ」 は、前・人類とでも呼ぶ 「謎の知性体」 の作品だろうと我輩は思う。
謎の知性体は、人類がこれから知るであろう謎を知っていたのでは...しかし、それでも滅亡の道を辿ったのでは....等と考えると、寝つきが悪くなる。

西洋医学に端を発している現代医学により切り刻まれてボケながら長生きするよりも、正常な精神状態で寿命を真っ当するのも人生ではないのだろうか...と思う臆病者の爺である。
肉体の年齢を伸ばす研究もよろしいが、精神とは・魂とは何ぞや??という研究はなされているのだろうか。

鹿児島出張記 (1)

鹿児島に出張した。 時期は忘れたが、昭和40年代の夏である。東京駅から直通の寝台車に乗り、到着したのは鹿児島駅。早速、鹿児島支店に挨拶に出向くものの、月曜日であった為、担当者達は既に出払っていた。その為、課長が運転する社用車で現地視察を行うことになった。当時の鹿児島支店では、月曜日に事務所に出社すると社用車にてそれぞれ現地に出向き、現地視察の結果は現地に近い宿 (ホテル・民宿等) にて取りまとめ必要...

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鹿児島に出張した。 時期は忘れたが、昭和40年代の夏である。
東京駅から直通の寝台車に乗り、到着したのは鹿児島駅。
早速、鹿児島支店に挨拶に出向くものの、月曜日であった為、担当者達は既に出払っていた。
その為、課長が運転する社用車で現地視察を行うことになった。

当時の鹿児島支店では、月曜日に事務所に出社すると社用車にてそれぞれ現地に出向き、現地視察の結果は現地に近い宿 (ホテル・民宿等) にて取りまとめ必要に応じて現地に出向く...これを繰り返しては、週末に事務所に戻るという体制で仕事していた。 まことに大らかなことである。

さて、我輩を連れて行ってくれた課長は根っからの鹿児島人であった。 出世する過程で福岡にある九州支店に在籍した経験があるものの、話す言葉は生粋の鹿児島弁である。
現地に向かう道中は、直行すれば2時間程度のところが、東京から来た我輩に気遣ってくれ観光ルートを通ってくれるものだから倍近い時間が掛った。
その間、鹿児島弁で観光案内してくれるのだが....さて、これがチンプンカンプンなのだ。
昼食は、もちろん鹿児島名物を出す店に連れて行ってくれた。
一応、現地視察を済ませ宿に向う途中で、酒屋に立ち寄り焼酎を仕込んでいた。

当日の宿 (24時間入浴できる源泉掛け流しの温泉) では、夕食のオカズと言うよりは晩酌のツマミが並んでいた。 携帯電話なぞ無い当時、昼食時の店から電話して手配してくれたもののようだ。 そう言えば 「あなたは、焼酎を飲めますか?」 なんて聞かれたっけ。

本場の焼酎を美味しくいただき、朝の5時頃に目覚めたら 隣に寝ているハズの課長がいない。 どうしたことやらと宿に尋ねると 「朝風呂に入っている」 とのことで、我輩も追いかけて朝風呂に入った。
朝風呂にて課長曰く 「昨日は4合瓶を買ったのだが、今日は1升瓶にする」 とのこと。 そう言えば、昨夜は宿に酒を追加注文して飲み明かし状態であった..と思い出した次第。 二人で 良く飲むもんじゃ。
二日酔い抜きの朝風呂から上がり、しこたま朝飯を食べ、今日の新しい現地...と言えば恰好良いが 実は観光に向う。 どこに行ったのかはサッパリだが、 曽木の滝を印象深く覚えている。

鹿児島に到着した1週間を こんな生活で過ごした。
その週の最後は、錦江湾に程近い料亭に支店の連中も集い、我輩の歓迎会である。
課長と同行したそれ迄とは違い、我輩と同年代の若い衆と酌み交わす焼酎が美味かったことは言うまでも無い。
明けて翌日、鹿児島到着から6日目にして、これからの1ヶ月を過ごすハズの宿を案内された。

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通院

定期通院。昨夜からアレルギー性鼻炎也新HbA1c 6.5 と高値安定状態に変わり無し。心不全に影響が有ると言われる「ピオグリタゾン」(商品名:アクトス)について疑問を呈したところ、これを中止することになった。 追記:「ピオグリタゾン」(商品名:アクトス)は、心不全・膀胱癌によろしくないHbA1cが 0.5程上がるかも知れないが、食事でコントロールしろとのこと。以前の薬が7日分有りそれを飲みきったら投薬中止というこ...

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定期通院。
昨夜からアレルギー性鼻炎也新HbA1c 6.5 と高値安定状態に変わり無し。
心不全に影響が有ると言われる「ピオグリタゾン」(商品名:アクトス)について疑問を呈したところ、これを中止することになった。 追記:「ピオグリタゾン」(商品名:アクトス)は、心不全膀胱癌によろしくない
HbA1cが 0.5程上がるかも知れないが、食事でコントロールしろとのこと。
以前の薬が7日分有りそれを飲みきったら投薬中止ということで、次回の通院時迄様子を見ることになった。
(※2014/02/06追記 本日より減らした。)
中世脂肪が増加している。 痩せなくては。

眼科の点眼薬に変動有。

見難いNHK天気予報

首都圏の天気予報しか見たことが無かった我輩であるが、石川県で流れる天気予報を見るようになってから気付いたことがある。NHK金沢放送局が流す天気予報は、実に丁寧というか...諄い。下図(1)は、NHK金沢の 「お日様マーク」 と 「降水確率」 を示すものだ。この図を見せながら、各地域毎に逐一読み上げて説明するのだ。 ラジオじゃないんだから、全部の地域を個別に読み上げなくても、見れば判ると思うのだが。一方、下...

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首都圏の天気予報しか見たことが無かった我輩であるが、石川県で流れる天気予報を見るようになってから気付いたことがある。
NHK金沢放送局が流す天気予報は、実に丁寧というか...諄い。

下図(1)は、NHK金沢の 「お日様マーク」 と 「降水確率」 を示すものだ。

196752530.v1390790196

この図を見せながら、各地域毎に逐一読み上げて説明するのだ。 ラジオじゃないんだから、全部の地域を個別に読み上げなくても、見れば判ると思うのだが。


一方、下図(2)は、北陸放送の類似のものである。

196703439.v1390730588

図(1)のHHK金沢のお天気マーク (2種類) 以外に、「波の高さ」 を示すマークが有る。 これを見せながら簡略した説明を付ける。 それで充分に理解できる。
HHK金沢でも 「波の高さ」 を示す画面が有るが、図(1)とは別の専用画面に切り替える為、その説明も逐一読み上げる。 見る側にとっても、言う側にとっても、面倒な...時間の無駄である。

下図(3)は、中部地方(愛知県・岐阜県・三重県・静岡県・福井県・石川県・富山県の7県)を統括する拠点局でもあるNHK名古屋放送局が23時頃のニュース報道の時間枠に流す天気予報である。



NHK名古屋

の管轄エリアに加え、東京と大阪の天気予報を各地域毎に逐一読み上げて説明するのだ。
この為、ニュース報道の時間枠であるにも関わらず、天気予報を流せば ニュースを流す時間が無くなるという状態になってしまう。  北陸放送では、図(2)により東京と大阪・名古屋も、1発で済ませているんじゃ。

天気予報の画面構成と、読み上げる方法を工夫して欲しいものだ。
天気予報の時間を短縮する工夫をして、その分ニュースを流してくれ。
同じニュースを1日に何度も流すな。 ニュースの収集能力が欠落しているのか

下図(4)は、NHK金沢の 「注意報」 の出ている状況を示すものだ。


196703412.v1390730578


石川県内の 市町毎に 発令されている 「注意報」 が良く判る。
しかし、注意報が発令されている市町だけが表示されるので、発令されている or されていない により、市町の表示される位置が日々異なる。
その為、見たい市町を目で探すことになってしまうのだ。 目の悪い者は、探しているうちに画面が変わるヨ。
北陸放送等では、市町の表示位置が固定され、当該市町に注意報が発令されていない場合は空白となっている。
市町の位置を固定して見せる工夫して欲しいものだ。

山が見ゆ

例の解体工事が進み、更地になった。 ※市役所へ建物が無くなったので、影に隠れていた金沢市内の山が良く見える。 昨夜は、マイナス3℃とのことで、日陰には氷が残っていたが良い天気。河合口公園も綺麗に見える。 もうじき、緑が芽吹きそうな気配を感じる。まだ立春前だよね...

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例の解体工事が進み、更地になった。 ※市役所へ
建物が無くなったので、影に隠れていた金沢市内の山が良く見える。 

昨夜は、マイナス3℃とのことで、日陰には氷が残っていたが良い天気。

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河合口公園も綺麗に見える。 もうじき、緑が芽吹きそうな気配を感じる。


まだ立春前だよね

札幌出張記 (A)

北海道、特に札幌には再三訪ねたが、初めて出張した時のことである。飛行機嫌いとしては、東京駅-青森駅間を長距離列車で、青函連絡船に乗り、朝には札幌駅に到着するようにルート設定した。 青函連絡船に乗るのは、中学時代 春の修学旅行以来のことだった。朝 札幌駅に到着する為には、深夜の青函連絡船に乗らなければならなかった。冬場の北海道 (たしか、10月末頃?) ということで、青函連絡船内でシャワーを使い 下着から...

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北海道、特に札幌には再三訪ねたが、初めて出張した時のことである。
飛行機嫌いとしては、東京駅-青森駅間を長距離列車で、青函連絡船に乗り、朝には札幌駅に到着するようにルート設定した。 青函連絡船に乗るのは、中学時代 春の修学旅行以来のことだった。

朝 札幌駅に到着する為には、深夜の青函連絡船に乗らなければならなかった。
冬場の北海道 (たしか、10月末頃?) ということで、青函連絡船内でシャワーを使い 下着から上着まで冬用の物に着替えた。 しかし、これが過ちの始まりだった。

青函連絡船から乗り継いだ北海道内の特急は暖房が効いており、我輩の身支度では暑過ぎたた。
やがて我慢しきれず薄物への着替えを試みるも、当時の特急車内は狭くて着替える為に手を伸ばすような我儘ができる状態では無かった。 特急の網棚から荷物を下ろすことすら、困難であった。

着替えすることもできず 汗まみれで到着した札幌駅は、降り立った途端に寒かった。
札幌支店に挨拶を済ませ、案内された琴似郵便局に程近い宿で着替える頃には すっかりと鼻水グスグス状態になっていた。

宿というのは、当社のOBが営む民宿だった。 
長逗留となるので我輩の懐を配慮してくれたのだろう。 また、OBに対し客を紹介することもあったのだろう。
荷物を置くなり札幌支店に戻り、夜は我輩の歓迎会に出席したが、鼻水グスグスの我輩は酒を飲める状態では無かった。

お世話になったのは昭和45年頃だったと記憶しているが...当時にはOBとなっていた民宿の老夫婦は、寒さに強いらしく、我輩の部屋には、炬燵をはじめ暖房器具と名が付く物が無かった。 朝・夕に食堂となる居間に 薪をくべるタイプのストーブが1個あるだけであった。 同宿の者がおらず、食事を済ませると トットと自部屋に戻り、寒さに耐えるのだ。 食堂にはテレビが無く、食事の後片付けを急かされるといつまでも食堂のストーブで温まる時間を過ごすわけにもいかなかったのだ。 自部屋は勿論テレビが無く、東京から持ってきたラジオだけが暇つぶしのネタだった。 札幌到着時には既に風邪惹き状態であった我輩は、部屋に戻っても寒くて寝つくことができなかった。
持参した衣類のすべてを着まくり、それでも寒くて眠ることができなかった。

翌朝は路線バスでの通勤となったが...バス車内は暑く、下車した途端に寒いという環境。
汗をかいては 濡れた下着で過ごす。 夜は寒い...という状況に、中耳炎を併発し病院通いするハメになっちまった。  結局は帰京する迄の1ヶ月間、風邪を惹きっぱなし。

OBの老妻さんが作る家庭料理は量が少なくお世辞にも美味く無く、社員食堂の昼食を楽しみにする日々に飽きて、滞在期間中に1度だけ夕食を居酒屋で食べただけの、寂しい出張であった。

しつこかった風邪は、帰京後、東京の環境と女将の手料理で、すぐに治ってしまった。

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再雇用の高齢者は

「有期特別法」ね~  いまさら関係無いけれど...再雇用の高齢者にとっては、良い法律というべきか。死ぬまで働くようになる人も出てくるだろうな。男性の平均寿命が60歳くらいだった昔は退職するとすぐに死ぬ人が多くて、社葬めいたことが多かったが、またそんな時代になるのかな。無精者の我輩は、働ける環境が整備されても働く気持ちは無いが...仕事が生き甲斐の人には歓迎する法律になるのだろうな~WikiPedia:労働契約...

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「有期特別法」ね~  いまさら関係無いけれど...
再雇用の高齢者にとっては、良い法律というべきか。
死ぬまで働くようになる人も出てくるだろうな。
男性の平均寿命が60歳くらいだった昔は退職するとすぐに死ぬ人が多くて、社葬めいたことが多かったが、またそんな時代になるのかな。
無精者の我輩は、働ける環境が整備されても働く気持ちは無いが...仕事が生き甲斐の人には歓迎する法律になるのだろうな~

WikiPedia:労働契約法

お別れ公衆電話

現在は60秒10円の公衆電話が、2014年4月から消費税率が 8%になることで57.5秒にに通話時間が短くなるという。公衆電話料金は、1993年9月迄は3分10円だった。1993年(平成5年)10月には、90秒10円1994年(平成6年)  4月から、60秒10円となり、現在に至る。日本電信電話公社が電信電話事業(公衆電気通信役務)を行っていた頃は、国道には数キロ置きに公衆電話室を設置することを義務付けられていた。電電公社は逓信省の後...

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現在は60秒10円の公衆電話が、2014年4月から消費税率が 8%になることで57.5秒にに通話時間が短くなるという。

公衆電話料金は、1993年9月迄は3分10円だった。
1993年(平成5年)10月には、90秒10円
1994年(平成6年)  4月から、60秒10円となり、現在に至る。
日本電信電話公社が電信電話事業(公衆電気通信役務)を行っていた頃は、国道には数キロ置きに公衆電話室を設置することを義務付けられていた。
電電公社は逓信省の後身であり、逓信省は交通・通信・電気を幅広く管轄していた。
逓信省は、道路占用料を支払うことも無用 (その時代には、建設院建設省よりも発言力があったのでは??) であり、通信設備を地中埋設し、全国に通信網を張り巡らすことが可能であった。 1952年(昭和27年)日本電信電話公社になり道路占用料を支払うようになってからもその精神は引き継がれ、「全国に遍く公平に」 電信電話事業を行ったという。 1985年(昭和60年)の通信自由化を受けて新電電各社が電信電話事業に参画し、持株会社日本電信電話株式会社の元に東日本電信電話株式会社及び西日本電信電話株式会社が発足し...
今では携帯電話に押されて、存在意義が薄れている公衆電話である。

しかし、地震等の災害時や停電の時には、公衆電話が必要であろう。
  • 携帯電話が利用できないトンネルや山間地で電話しなければならない状況もある。
  • 携帯電話を所持しない子供や年配者は、未だに公衆電話を利用している。 子供には携帯電話の所持を禁止している学校も多い。
その公衆電話の通話できる時間が短くなるのは、如何なものだろう。
我輩は外出時の非常時用として、千円のテレホンカードを常備している。非常事態には、公衆電話様々の根性だ。
我が家はアナログ電話に停電時用電話機なので、自宅に居る時は停電時でも問題無い。

我輩が入社した昭和40年代には、電話が少なかった。
  • 会社内の少ない電話器は、遠距離への通話を防止(見張り)する為、係長席に設置されていた。
  • 一般家庭に電話を引く為、電話局に頼み込まねばならなかった。 電話を引く工事が終えたら、工事してくれた人達に酒・煙草を持たせることは常識であった。 酒席をもうけた家もあったほどだ。
  • 電話の無い一般家庭は公衆電話まで行けない場合、有る家庭の電話を借りることもあった。 借用料として、1回10円や、砂時計で利用時間を計られる等、色々。 もめごとの原因となることも
  • 電話を引いている飲食店は、それがステータスであった。 赤(ピンク)公衆電話は、こぞって設置したがった。 電話が有ることは、客寄せ効果も有った。 設置工事を急がせる為に政治家を動かす者もいた。
  • 遠距離で田舎に公衆電話すると、頻繁に落ちる10円硬貨が寂しかった。 田舎との距離を実感するひとときだった。 10円硬貨に両替に走ることもあった(昔は、100円硬貨を使用できなかった)。
そんな時代もあったけ。 携帯電話全盛の現代では、そんなことを気に掛ける若者はいない。
公衆電話の変な利点は、
  • 10円玉が無くなることを理由に、会話の途中でも切ることができる。 
  • 電話が掛かってくることは無く、用がある時に自分が掛ければ良い。(主導的)
ちなみに「日本電信電話公社」 は 「電公社」 と略記するのが正しく、「電公社」 は誤り..と拘る人もいる。  「電信」 と 「電話」 の異なる単語からなることを  と標記するのは誤りとするのが、その理由。
公衆電話には、赤色・青色・黄色・ピンク・緑色・灰色の物が有った。
しかし、赤色・青色・黄色の物は1995年(平成7年)に廃止されている。