無無無庵2

(むさんあん) - 思考が無く - 躰が無く - 心が無く

トキメキ団塊親父のセカンド・ステージ - 退職爺のボケ封じ

“おなら”は我慢せずに

“おなら”は我慢せずに

屁(へ)。 放屁(ほうひ)は、お上品な人達には“おなら”と呼ばれるシロモノだ。WikiPedia:屁によれば『平均的には大人は普通一日に合計0.5~1.5リットルの量の屁を5回から20回に亘って放出する。』とのことだ。子供によっては放屁の仕方が下手な為に腸がガスでパンパンに苦しくなって、病院でガス抜きしてもらう子もいる。世の中的には“放屁師”という芸人や、“曲屁”(きょくべ)という屁の音階で楽しんだり、“放屁合戦”が行われた昔...

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屁(へ)。 放屁(ほうひ)は、お上品な人達には“おなら”と呼ばれるシロモノだ。
WikiPedia:によれば『平均的には大人は普通一日に合計0.5~1.5リットルの量の屁を5回から20回に亘って放出する。』とのことだ。
子供によっては放屁の仕方が下手な為に腸がガスでパンパンに苦しくなって、病院でガス抜きしてもらう子もいる。

世の中的には“放屁師”という芸人や、“曲屁”(きょくべ)という屁の音階で楽しんだり、“放屁合戦”が行われた昔もあったそうだ。 それにも関わらず、一般的には“おなら”をすると下品ということで眉を顰める人が多い。

ことさら男女間においては、若い頃は大っぴらに“おなら”することを遠慮するようだ。
映画館の閉ざされた空間の静かな場面を大勢の人が見ているというような特別な環境でなくとも、海や山の自然空間でも、二人っきりしかいないような状況でも、若い頃はなぜか遠慮するようだ。

しかし、子供ができたりすると、遠慮しながら“おなら”している気は消え失せる人が多いのではなかろうか。
増してや、自他ともに“爺婆”と見られる年齢になると“おなら”する事を遠慮してはいられなくなるのではないだろうか。 つつましやかに遠慮する人がいても、緩み切った肛門と根性で“おなら”を我慢することは難しい。
夫婦二人っきりの我が家の場合は、「出もの腫もの」ということで、ところ嫌わずに“おなら”している最近だ。

見栄を張って、“おなら”程度を我慢して体裁をつけたところで、介護を受ける身分になれば、下の始末ひとつにして若き看護師さんにしてもらうしかない事になるかもしれない。恥ずかしいとか言って、看護師の手を取ってはイカン。
尻に出来物ができても、老眼の白内障では視認することができないということだ。とっとと訳を言って診てもらうべし。