小学2年生の春に、生まれ故郷の秋田県鹿角郡花輪町から秋田市に転居した。花輪町で我が家の在るエリアは20戸ほどの町営住宅が建ち並んでいたのだが、就学前の子供にとっては随分と人が多いと思っていた。それが保育園から小学校に通うようになり、花輪町に出るようになると仰天ものであった。それが、秋田市に引越しした途端に人の多さにはウンザリしたことを覚えている。中でも銀行なる建物は威風堂々としており、城下町の秋田市...
花輪町で我が家の在るエリアは20戸ほどの町営住宅が建ち並んでいたのだが、就学前の子供にとっては随分と人が多いと思っていた。それが保育園から小学校に通うようになり、花輪町に出るようになると仰天ものであった。それが、秋田市に引越しした途端に人の多さにはウンザリしたことを覚えている。中でも銀行なる建物は威風堂々としており、城下町の秋田市内でもひときわ目を引いていたように覚える。
その時分には既に「秋田銀行」と称していたが、以前は「第四十八国立銀行」である。元は「国立銀行」であった建物は地方都市に合わない立派さであった。
中学生になる頃には「なぜ故に第四十八なのだろう」と疑問を覚え、「第四十八以前の物の有無」なんぞを知りたいと思いながら忘れていた。就職し出張した仙台市にて「七十七銀行」を見かけて以来、なんとなくモヤモヤしていた。
調べると「国立銀行」なる制度の名残らしい。
銀行は設立順に番号を名乗っており、これを「ナンバー銀行」と呼ぶこともあり、2021年現在、数字のみの純粋なナンバー銀行は十六銀行(岐阜県岐阜市)・七十七銀行(宮城県仙台市)・百五銀行(三重県津市)・百十四銀行(香川県高松市)の4行、統合前の行名を含むナンバー銀行は第四北越銀行(新潟県新潟市)と十八親和銀行(長崎県)の2行で、併せて6行が現存しているまた、「戦時統合」と称される昭和時代前期に行われた大蔵省の政策で「一県一行主義」により、1つの府県(都道は対象外)に1つの地方銀行に制限すべく中小の地方銀行に対して強制的な統廃合を進めたことにより、「国立銀行」が合併させられた為、「ナンバー銀行」が欠番となったようだ。
ちなみに、当地石川県金沢市は県庁所在地でありながら「国立銀行」の名残は無い。古くは「第十二国立銀行」があったが、現在は「北陸銀行」として富山県富山市に本店が在る。また、「第七十五国立銀行」が在ったが「第四十五国立銀行(東京)」に合併され、1898年に営業満期解散したとのこと。
また、「みずほ銀行」が「第一国立銀行」であることは大いにガテンであるが、「横浜銀行」が「第二国立銀行」であったことは意外である。明治維新と外国向けの取引に必要だったのだろうか。