無無無庵2

(むさんあん) - 思考が無く - 躰が無く - 心が無く

トキメキ団塊親父のセカンド・ステージ - 退職爺のボケ封じ

根無し草の末路

色々な職業があるが、いわゆる勤め人は、仕事次第で各地を転々とする人達が多い。
父親の転勤に伴い、何度も何度も転校することになった子供は多いだろう。
そのような人生を送る人にとっては、故郷と呼ぶ地は無いのかも知れない。 “根無し草”とでも呼ぶべきだろうか。

農業や漁業に携わる人が各地を転居することは稀であろう。 生まれた土地で親の生業を引き継いで生きていく。
土地に根差した“安定した草”なのかも知れない。
しかし、東日本大震災以来、“安定した草”でも“根無し草”として生きるしかない人達が増えているようだ。

古くは“根無し草”であることは当たり前のことであったのだろう。
縄文時代の狩人は獣を求めていた。稲作が始まった後の史書を見ても、国替えに伴う移動や、災害による移動は頻繁になされていたことが伺知れる。 土地に拘って生きて、そして死んだというわけではないようだ。

しかし、最近の農業や漁業に携わる人は“根無し草”になることを好まない人達が多いようだ。
勤め人でも、地方に生まれ育ち、そして同地で仕事をすることができる人は“根無し草”になりたがらないらしい。
だが、団塊と呼ばれる世代で東京などの大都市に集団就職して退職することになった勤め人には“Uターン”とか“Jターン”する人が増え、東京脱出や過疎地への転居は国の施策とされている。
江戸っ子を称する人々の多くは江戸城築造に携わった人足と女郎の間にできた子供の末裔であり、参勤交代の江戸番侍の成れの果てか、明治維新で成り上がった田舎者が先祖だろう。終戦のドサクサに住み着いた人も少なくないのだろうか。いずれにしても「東京者です」なんて~恰好着けるほどのルーツではあるまい。その東京者の子孫たちは“根無し草”になることを嫌がって、大地震の発生が予想されている東京を捨てられない。
ちなみに、出稼ぎの団塊世代の子供は、江戸暮らし3代目にならないから、江戸っ子とは呼ばない。

俺は「どこで生きても一生は一生」・「どこで死んでも変わりなし」と思ってきたし、これからもそうだろう。
転居を重ねてきた俺には、故郷と呼ぶ地が無い。 改めて、故郷探しをする気も無く、その必要を感じない。

しかし、想い出が無く話し相手もいない、見も知らぬ当地で過ごしていると、長く感じる夜もある。
これも“根無し草”の末路と思うしかないだろう。
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仮設住宅「不便」と辞退続出 熊本地震、浸水想定域にも建設 - 共同通信 47NEWS
ほんの一時と思って住み始めた仮設住宅で一生を過ごすことになるかもしれぬ人もいる。
.....わからないのが人生......ということか.....

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最終更新日 : 2021-01-01

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