無無無庵2

(むさんあん) - 思考が無く - 躰が無く - 心が無く

トキメキ団塊親父のセカンド・ステージ - 退職爺のボケ封じ

出身地に見る帰巣本能

 一昨日前からの降雪は断続的に続いている。予報では明日の午前中まで続くそうだ。雪は飽きた
今日は2月13日。退職予定者も就職予定者も、それぞれ準備を始めているのだろうか。

秋田県出身の俺が、終の棲家として石川県を選ぶというのも珍しいだろうと思う。
秋田県の中でも、生まれ在所の鹿角郡(現・鹿角市)は奥羽山脈の分水嶺へと続く寒い地域である。小学校低学年の頃に親父の転勤に伴って転居した秋田市は日本海からの西風が寒く、鹿角市ほどではないものの冬季は朝の除雪から一日がはじまった。小学校から高校まで、出社前には大通りへ続く私道の雪掻きをしていた親父の姿が冬の景色の一コマであった。そんな寒さに嫌気が差したのであろう親父は、退職が見えた時点で暖かい地域へ転居した。

そのおかげで俺は、極稀には雪が降り、些少の雪に大騒ぎするような横浜市に住み、秋田での寒さや雪なんちゅう物とは縁遠い生活を堪能して人生の大部分を暮らす事ができた。退職間際に移り住んだ鎌倉も、寒さの話題は出ない土地だった。
そのような暮らしができることは、出征前は東京で暮らし南方で終戦を向かえた親父の、「雪の降る寒い所で暮らしたくない」という暖かい土地への憧れがあったからだったのだろう。

♪あぁ、それなのに...バカな倅はまた、豪雪地帯と認定される石川県で死ぬ道を選んでしまった。
どこで死んでも同じだろうと考えた上での土地選びであったが、いざ暮らしていると年寄りとしては寒さが堪える。
しかし、太平洋側の「地震が来るよ」と脅かされる地域よりは安心して暮らせると言うべきか。とは思うものの、老後や死後を心配するくらいならば、いっそのこと予想しない巨大自然災害で死ぬというのも悪くは無かったな~と思ったりもする。それでも、天下の首都圏で老後を暮らすよりは、Jターンした事を是と考えている。(Uターン / Iターン)
なごり雪 - イルカ (伊勢正三が作詞・作曲したかぐや姫の楽曲)



俺の知る団塊世代の人達では、東北出身者の就職先は「東北第一の都会である仙台」が多かった。東京圏に就職した者は少なく、居ても早い時点で東北圏にUターンしている。少なくとも退職すればUターンしている。
一方、鹿児島出身者の就職先は東京圏が多かった。(何故か俺は、関西以南の人、特に鹿児島県人は大好きだ) 鹿児島以外の九州圏出身者の就職先は「九州第一の都会である福岡」が多かったと聞くが、福岡を素通りして大阪圏を選ぶ者も多かったと聞く。しかし、福岡や大阪圏への就職者の状況は知らない。俺の知る東京圏就職組の鹿児島出身者の場合、東京圏で作った家を終の棲家としUターンしない者が多い。勿論、東北出身者と同様に早い時点で九州圏にUターンした者もいるが、圧倒的に戻らないと決めた者の方が多い。
昔の地方出身者は「東京に行かなければ有名になれない」として上京し、有名に成れず故郷に錦を飾れなかった者が多かったようだ。また、有名に成っても故郷へは戻らなかった者も多かった。
東北出身者と九州出身者を比べても、帰巣本能に差異があるのかは解らない。
しかし、故郷を出るにあたっての覚悟として、「帰り易さ」のポイントは高いのではないだろうか。

今では新幹線で日帰りできる故郷が多い。しかし、俺が秋田から就職上京する頃は汽車ポッポで1日掛かりだった。あの距離と時間は「故郷を捨てる」と身に染みて考えるには十二分であった。過去記事:東京に行く事
一方、九州出身者は当時最先端の寝台車を利用したと聞く。「目が覚めれば到着」していた距離感は「身近な故郷」感覚が残るのではないだろうか。古くより、沖縄からの就職者には飛行機を利用させたそうだ。これは、長時間掛けて海を渡った遠い故郷という感覚を拭うことで、ホームシックにならないように取り計らった事と聞く。

政府の中央官庁勤務者は、出身地によって勤め先が決まる的なことが未だにあると聞く。また、聊か古い話題だが、警視庁には鹿児島出身者が多く、銭湯を営むのは新潟出身者が多いそうだ。
先輩の伝手を頼りに故郷を離れ、先輩の指導を受けながら人生を歩み、そして上京地で花を咲かせ散る...

今東京で先祖代々の江戸っ子を気取っている人達は、徳川の城江戸の町を作る際に茨城あたりから連れてこられた作業員と女郎との間に生まれた子供の子孫だろうか。その子孫が「徳川様の世」から代る時に進軍して来た薩長の田舎侍と懇ろになって東京ができたかと考えれば、東京の有難味も薄れるというものだ。WikiPedia:江戸言葉
もっとも、古代より日本全国で男性の移動は盛んだったというから、地域の固定種は女性だけかも知れない。

今年(2018年)の3月31日に退職する人達は、1952年(S27)生まれの人達(182.9万人)で、いわゆる「ポスト団塊の世代」とか「しらけ世代」と呼ばれる年代だ。団塊世代新人類との繋ぎとなり、バブル景気が起こる前に成人した。
1950年代前半に生まれた世代は高度経済成長時代初期に小学校入学、大学進学率は20%ないし30%であり、「金の卵」として中卒や高卒で集団就職した者が多かったとのことだが、退職後の彼等は故郷に帰るのだろうか。
1952年12月31日に日本劇場第4回NHK紅白歌合戦をテレビ・ラジオ同時生中継。この回から紅白は毎年大晦日に開催となった。日劇は惜しまれて過日(02/04)営業終了した。紅白音楽試合は執拗に続くらしい。


マンガで読む NHKヒストリー | 特集記事から探す | NHKアーカイブス
俺も長生きした場合に備えて、少し若い年代の気の合いそうな地域のネット友を探す事にしよう。

ふるさとのはなしをしよう
 歌詞
歌:北原謙二     作詞:伊野上 のぼる     作曲:キダ・タロー


関連過去記事:野々市の人になって1年が経つ / 44年が過ぎる / 東京圏の年寄は脱出を
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最終更新日 : 2021-01-16

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呑兵衛あな様 こんばんは。 帰巣本能の一環なのでしょうが東北出身者が首都圏に住む場合、上野駅を中心としてそれよりも北に住むことが多いようです。都内でも北の方、県で言えば千葉、埼玉、茨城ですね。 一方静岡以西の出身者は東京駅を中心としてそれより南に住むことが多いようです。都内の南部とか神奈川ですね。 これは父親の同僚関係でみても私の交友関係でみても同じような傾向があります。 少しだけでも故郷に帰りやすい立地がいいのでしょうか? あな様のように東北出身で神奈川というのは少数派だと思います。 愛新覚羅
2018-02-13-19:30 aishinkakura [ 返信 * 編集 ]

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>少しだけでも故郷に帰りやすい立地がいいのでしょうか? なるほど、大いにガテンしますね。 ちなみに私の父の場合、「帰る」事は念頭に無かったということでしょうね。 私は、現在の石川県に転居する事を決めた後に大宮で単身暮らしをしましたが、直前の住処であった大船とは2時間近くの移動時間差は大きかったですよ。どちらも、駅から徒歩5分程度でしたから、JRに乗っている時間差ですね。 大宮という北寄りのエリアは田舎っぽくて毛嫌いしていましたが、あれから好みです。しかし、天気予報を見ていると金沢市よりもさいたま市の方が寒いんですね。知りませんでした。でも、老後離婚したら住んでも良い街です。 >静岡以西の出身者は東京駅を中心としてそれより南... との御意見ですが、その付近の出身者で東京に就職したという人は私の周囲にはいませんでしたね。
2018-02-13-19:40 呑兵衛あな [ 返信 * 編集 ]

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こんな何もない田舎町には暮らしたくな、と高卒後に田舎を捨てるように私は上京。同じく上京する同級生たちは飛行機あるいは特急列車で上京したようですが、病気で入退院を繰り返していた父に金はなく、私はいちばん安いSLの急行列車でした。東京駅についたとき顔がススで真っ黒になっていたのを覚えています。それから3カ月後、父は亡くなりました。田舎の駅を発つとき見送りにきてくれた同級生や親戚の人たちの、そのいちばん後の柱の陰でいまにも泣き出しそうな顔で私を見送ってくれた父の顔がいまでも忘れられません。 先月、母の一周忌を機に父の50回忌も済ませました。約50年ぶりに骨壷を開けて父の骨を掌にのせて温め、親不孝を詫ました。 それから幾霜月、65歳で定年退職を迎えた私は秋田・山形出身の同僚に「オレは田舎に帰るけどアンタたちもいずれ田舎に帰るのか」と聞いたら「とんでもない。雪で仕事はできない、ゴルフもできない。毎日雪下ろしばかり。あんなところには帰りたくないよ」と言っていました。
2018-02-13-23:25 伝べえ [ 返信 * 編集 ]

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東京下町の商店街でもシャッターが目立って来ました。 集団就職で都会に出、店を構えた諸先輩も多数おられると思います。 しかし、子供は後を継がず、サラリーマンとしてマンション暮らしかも知れません。 わたしは出身は山形県と宮城県鳴子の県境で生まれました。 土着ではなく疎開先でした。6歳の時、新庄から奥羽本線で上野に出、大分県佐伯市まで引っ越しました。その後千葉に来て、18歳で就職し、住所を点々としましたが、21歳から千葉で落ち着きました。 最後に勤めた会社は孫会社ですが、大元の親会社(株式一部)の方々は出世するほど転勤が多いので退職時まで社宅暮らしが多く、退職時に故郷へ帰る方が多い様です。 その子会社の運送会社へ入社したのですが、出身は全国でした。地元は少なかったです。 皆、30~40代で家を建て故郷に戻った者はひとりもいません。 やはり退職後に住まいを変えるとなると資金が必要です。大手なら数千万の退職金ですが、中小ですと1千万も貰えれば多い方です。 やはり、地獄の沙汰も金次第、資金が無ければあそこに住みたいここに住みたいと思っても無理ですね。
2018-02-14-05:36 愚呑 [ 返信 * 編集 ]

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伝べえさん 重い想いですね。お察しします。 お仲間の立ち位置は、私の場合とは真逆のようですね。それも判るような気がします。 終の棲家探しでは、山形県の新幹線が停まる「大石田」も候補地の一つだったのですが、現在4mを超す積雪を報じられている山形県の大蔵村肘折の隣です。 世の中塞翁が馬なのかも知れません。何が運を分けるのかは判りませんし、現在の自分の運がどちら向きなのかは知りませんが、自分が決めた結果だろうと思う事にしています。 しかし、空の上で天子様が将棋を指しているのかも知れませんがね(笑)
2018-02-14-09:17 呑兵衛あな [ 返信 * 編集 ]

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愚呑さんも全国行脚されたのですか。 貴殿ほどではないかもしれませんが、私は上京以来、東京圏の中で転居を繰り返しました。そして今は、自分の故郷が判らなくなっています。 仕事仲間だった中には友人と思う人もいますが、退職とともに散り散りになりました。今度会うのはどちらかの墓の前だろうと思えば淋しいものもあります。しかし、人生とはそんなものかもしれないと思っている最近です。
2018-02-14-09:29 呑兵衛あな [ 返信 * 編集 ]