(むさんあん)、思考が無く.躰が無く.心が無く

トキメキ団塊親父のセカンド・ステージ.退職爺のボケ封じ

左肩の骨折、3年目

2015/12/06に左の肩部(上腕骨)を骨折してから、丸3年経った。2015年(H27)は俺の厄年也。以下、恒例の反省。
2015年、左肩を骨折(記念日)2016年、記念日2017年、記念日
関連過去記事:左肩側骨折以来の記録  / やれやれ健康2015  / 2015/10健康メモ / 骨折の想い出 / 嬉しかった万歳 / 自分の健康調書作り / 治療する病気を選ぶ


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硝子体手術をドタキャンしたばかりの眼が不自由だった真っ最中に、このような薄い鉄板を視認することができずに、鉄板の上に乗ったままの状態で垂直な棒を自分の体で押し進んだ為に、ぶっ飛んだ結果だ。
自力で折れた腕を押さえながら自宅まで5分ほど歩いて帰ったが、気絶していても不思議では無かった。
頭を打ったか否かは記憶になかったが、気掛かりであった。当日は日曜だったので脳も診察できる緊急病院をネットで探し予約してからタクシーで行ったが、救急車で運ばれなければ何もしてくれない事を知った。帰宅して考え、いつもの総合病院に行くことにした。翌日は紹介状をもらい受ける為に一旦は緊急病院に行き、その後いつもの総合病院に転院したが、あの際に緊急病院に行ったことは無意味であった。

知らなかったが、人間の骨とはどんな形であろうとも折れるとすぐに修復をはじめ1ヶ月もあれば癒着するのだそうだ。俺は幸いなことに、放置したままでもそれなりに正常な位置で癒着していたため手術するハメにはならなかったということだ。異常な位置で修復開始したのであれば、無理やり切開手術だっただろう。

入院したかったのだが入院させてもらえなかったので、通院しながら自宅でゴロゴロしていた。昼は兎も角、夜も布団に入る事が困難だったので、骨折した2015年の冬季はもっぱらソファーで過ごしていた。2016年の冬には布団で生活できたが、掛け布団を引き上げるような動作には心もとなかった。2017年からは完璧に大丈夫也。

これで、一通りの持病(眼、肺炎、心臓)は3年が経過したことになる。 とりあえず、今日はおとなしくしていよう。
 寒暖が乱高下している。昨日から寒いが、土日は雪が降る日もあるとの予報也。明日は大雪

2017年12月の天気

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過去の天気 - 日本気象協会 tenki.jpより
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